明るいのに怖い?日本映画からの影響?『ミッドサマー』が超絶面白い!

昨日2月11日、TOHOシネマズ日比谷にてアリ・アスター監督最新作『ミッドサマー』を一足早く鑑賞してきました!公開後には映画評論家の町山智浩さんによるトークショー付きで、なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。

 

・『ミッドサマー』とは 

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長編デビュー作「ヘレディタリー 継承」が高い評価を集めたアリ・アスター監督の第2作。不慮の事故により家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人たち5人でスウェーデンを訪れた。彼らの目的は奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」への参加だった。太陽が沈むことがないその村は、美しい花々が咲き誇り、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園としか形容できない幸福な場のように思えた。しかし、そんな幸せな雰囲気に満ちた村に不穏な空気が漂い始め、妄想やトラウマ、不安、そして恐怖により、ダニーの心は次第にかき乱されていく。ダニー役を「ファイティング・ファミリー」のフローレンス・ピューが演じるほか、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「パターソン」のウィリアム・ジャクソン・ハーパー、「レヴェナント 蘇えりし者」のウィル・ポールターらが顔をそろえる。

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・監督アリ・アスターとは?

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アリ・アスター監督

アメリカン・フィルム・インスティテュートで美術修士号を取得。「The Strange Thing About the Johnsons(原題)」(11)、「Munchausen(原題)」(13)、「Basically(原題)」(14)などいくつかの短編映画を脚本・監督して発表する。長編監督デビュー作「へレディタリー 継承」(18)では、祖母の死をきっかけにさまざまな恐怖に見舞われる一家を描き、サンダンス映画祭やサウス・バイ・サウスウェスト映画祭で注目を浴びるとともに、「エクソシスト」に並ぶホラーの誕生と米国内の批評家から絶賛された

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・前作『ヘレディタリー継承』とは?

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家長である祖母の死をきっかけに、さまざまな恐怖に見舞われる一家を描いたホラー。祖母エレンが亡くなったグラハム家。過去のある出来事により、母に対して愛憎交じりの感情を持ってた娘のアニーも、夫、2人の子どもたちとともに淡々と葬儀を執り行った。祖母が亡くなった喪失感を乗り越えようとするグラハム家に奇妙な出来事が頻発。最悪な事態に陥った一家は修復不能なまでに崩壊してしまうが、亡くなったエレンの遺品が収められた箱に「私を憎まないで」と書かれたメモが挟まれていた。「シックス・センス」「リトル・ミス・サンシャイン」のトニ・コレットがアニー役を演じるほか、夫役をガブリエル・バーン、息子役をアレックス・ウルフ、娘役をミリー・シャピロが演じる。監督、脚本は本作で長編監督デビューを果たしたアリ・アスター

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祖母の死をきっかけにとある家族が恐怖に陥るという話の前作『ヘレディタリー継承』は海外ホラー作品の中では屈指の怖さのある作品でした!

暗いところに何かがうっすら写っているのが怖い。。。作品内でその正体や全貌を明らかにしないからこそ、それに対する恐怖が観客の脳裏に蓄積されていきます。しかし、後半にはもうテンションがとんでもないことになり、その中にはなぜか笑ってしまう滑稽さもありました。母親の顔芸や息子を全力で追いかけるシーンには笑ってしまいました。そしてどこか祝祭感と同時に救いを感じる幕引きを迎え、どういう感情で見ればいいんだ??と観客を混乱させます。

 

・『ミッドサマー』感想

 それでは最新作『ミッドサマー』について述べたいと思います。

『ミッドサマー』は『ヘレディタリー継承』同様、言及されない細部の蓄積で恐怖を煽りつつも、笑っていいのか怖がった方がいいのか複雑な感情にさせられます。特に村の祭りでのダンス大会シーンは爆笑してしまいました。そして詳細は伏せますが、ラストに救いを感じさせるのも同じだと言えます。

前作と大きく違うのは劇中ほとんどのシーンが明るいということ。本作は白夜のスウェーデンが舞台であり、夜の数時間を除いてほとんどのシーンがデイシーンで撮影されています。逃げ場であるはずの太陽の下でも常に恐怖を感じさせ、観客に逃げ場を与えさせません。これは結構画期的なことなのだと思いました。

 

町山智浩さんの解説

町山智浩さんの解説について言及したいです。

・本作に影響を与えた作品

アリ・アスター監督は今村昌平監督の影響を強く受けており、本作では特に『神々の深き欲望』の強い影響下にあるそうです。

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神々の深き欲望

東シナ海」の今村昌平長谷部慶治が共同でシナリオを執筆し、「人間蒸発」の今村昌平が、神話的伝統を受けついで生活する沖縄の一孤島を舞台に、因襲や近代化と闘う島民の生活を描いた。撮影は、栃沢正夫

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沖縄の孤島独特の風習に巻き込まれるという展開は本作とほとんど同じです。

 

また作中イングマルというキャラクターが登場するように、スウェーデンの映画監督イングマールベルイマンの作品、特に「ある結婚の風景」から影響を受けているそうです。

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夫婦のディスカッション・ドラマともとれる本作は、初め、5時間にも及ぶTVシリーズであったが、評判を呼び、再編集され劇場公開された。幸福な結婚生活を続けていたヨハンとマリアンヌは、地元新聞社からの取材に応え、模範的夫婦について語る。しかし、それが活字になってみると、まるで空虚でつまらぬモノに感じられ、それ以来、二人の間にはすきま風が吹き、論争の嵐が起こるのだが……。ベルイマンによる“夫婦げんかの形而上学

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・監督の個人的な癒しの物語

本作は監督が彼女と別れた体験をベースに物語を考えたそうです。両親に不幸があったにもかかわらず、その彼女は彼にあまり寄り添ってあげなかった。にもかかわらず、彼はその縁を切れずにいた。本作はそのような体験を実際にしたアリ・アスター監督の投影として主人公ダニーを見ることができます。

監督は「自分の自身の癒しが世界に対して意味を持つ」という信念を持っており、それは前作『ヘレディタリー継承』は両親の不幸に対する癒しとして描いたそうです。

 

以上、読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

エロくて切ない、、、ラブドールが主人公の映画『空気人形』

こんにちは、YUKIです!

この記事では是枝裕和監督監督作品の中でも異色な映画『空気人形』について書きたいと思います。(微ネタバレ)

 

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女性の「代用品」として作られた空気人形ののぞみに、ある朝「心」が芽生え、持ち主の秀雄が留守の間に街へ繰り出すようになる。そんなある日、レンタルビデオ店で働く青年・純一に出会い、密かに想いを寄せるようになった彼女は、その店でアルバイトとして働くことになるが……。「誰も知らない」「歩いても 歩いても」の是枝裕和監督が、業田良家の短編漫画「ゴーダ哲学堂 空気人形」を映画化。主演は韓国の人気女優ペ・ドゥナ

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・『この世界の片隅に』との類似性

 

本作にはたんぽぽの綿毛が重要なモチーフとして登場します。

たんぽぽは風で種子を飛ばし、遠く離れた場所に根を下ろして繁殖していきます。それは、だれかの一部が他者に伝播し、その人の一部となるという人間の相互作用を表しているようです。ラスト、純一によって満たされたあかりの中の空気が彼女の息としてたんぽぽの綿毛を飛ばします。そして上空に舞い上がる綿毛が捉えられ映画は終わります。

たんぽぽの綿毛でそれを表現するのはこの世界の片隅にも同じです。この作品では、幼い頃すずがスイカの皮をあげた貧しい少女が、大人になって娼婦のレンとして再びすずと関わりを持つというように時間を超えた人間の相互作用が描かれています。また、綿毛は重要な場面で登場します。『空気人形』においても、主要ではない脇役の登場人物たちの日常を描写したシーンが意図的に挿入されているように、世界の片隅で生きるもの同士がお互いに影響を与えながら生きていることが描写されています。よってこの二作品は同じ精神性をもった映画なのだと解釈しました。

 

・”親離れ”の物語としての『空気人形』


また親離れの話と言えるのかもしれません。
なぜか空気を入れる口がへそにあり、そこにチューブを差して空気がいれられます。嫌でもへその緒が連想されます。自我に目覚め、外の世界を知ってしまったあかりは自らへその緒である空気入れを捨てます。その後、同じ公園のベンチに座った女性に対して「歳を取ることができるようになった」と告げます。つまり、へその緒が象徴する親との別れ、そして外の世界で人として生きることへの喜びを表しているようでした。それは死ぬことができることを生きることができると肯定的に捉え直してるように思えました。

へその緒で守られていた時、空気が抜けても親である所有者から空気を入れてもらっていました。しかし、へその緒が無くなったあかりを満たすことができるのは他者しかいません。あかりはバイト先のレンタルビデオ屋の店員と出会い、心に空虚さを感じていた2人は恋に落ちます。彼がへそに口を当ててあかりの空気を満たすという行為が性行為のように官能的に描かれていました。

空っぽの心が満たされることへの快楽を求めて、他者の心の空気を故意に抜いた結果あのような結末になってしまったように、ファンタジーでありながらも現実における人間関係のメタファーが散りばめられていたように思えました。

・最後に

本作で描かれるように、きっかけは何であれ、何かに感動すること、そして自分が感動できるという事実に感動することで、まだ自分はこの世界で生きていてもいいんだと勇気付けられることは確実にあると思います。「綺麗」という言葉で始まり閉じられる円環構造の本作は本当に綺麗な作品でした。

『寝ても覚めても』と『アンダー・ザ・シルバーレイク』に見る偽りなき人生

昨日の記事でデビッド・ロバート・ミッチェルについて言及したので、今日は彼の作品『アンダー・ザ・シルバーレイク』と最近話題の映画『寝ても覚めても』についての記事を書きたいと思います。(微ネタバレ)

 

まずそれぞれの作品についてのYUKIなりの感想を書きたいと思います。

・『アンダー・ザ・シルバーレイク

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「イット・フォローズ」で世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、「ハクソー・リッジ」「沈黙 サイレンス」のアンドリュー・ガーフィールド主演で描いたサスペンススリラー。セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイク。ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。サラの行方を捜すうちに、いつしかサムは街の裏側に潜む陰謀に巻き込まれていく。「私たちは誰かに操られているのではないか」という現代人の恐れや好奇心を、幻想的な映像と斬新なアイデアで描き出す。サラ役に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のライリー・キーオ

アンダー・ザ・シルバーレイク : 作品情報 - 映画.com

ミッチェル監督の「アメリカン・スリープ・オーバー」、「イット・フォローズ 」の流れで本作を観ると、主人公の青年サムも前二作の主人公達と同様、"理想と現実の乖離"という宿命を背負っているように感じます。彼は負け組の人生を歩む現状に満足せず、何か人生の"意味"を見出そうとしているのです。

今いる彼女とは別に本気で好きになってしまった金髪美女、そしてこの世を操る力の正体を探すという行為こそ、彼が意味を求めていることの象徴だと読み取れます。

では、結局彼は何を見つけるのでしょうか?それはこの世に絶対的な意味なんてものはないということだと解釈しました。詳細は伏せますが、ラストに彼がある部屋であるものを聞いた時に言う言葉からそう感じました。自分が信じた映画、音楽が盗作だったりコマーシャルな理由で製作されていたなんて関係ない。そんな作品だとしても、意味を削ぎ落とした時に自分の中に残った生身の感動は真実だ!というメッセージを受け取りました。あのラストの微笑みには彼が今後、人生の意味などという価値観に囚われずに、自分自信を偽らない素直な人生を生きる決意のようなものを感じました。

奇をてらったカメラワークやゲームのように進行していく先の読めない展開など映画体験としてもかなり面白い作品だと思います。

 

・『寝ても覚めても

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4人の女性の日常と友情を5時間を越える長尺で丁寧に描き、ロカルノ、ナントなど、数々の国際映画祭で主要賞を受賞した「ハッピーアワー」で注目された濱口竜介監督の商業映画デビュー作。第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。芥川賞作家・柴崎友香の同名恋愛小説を東出昌大唐田えりかの主演により映画化。大阪に暮らす21歳の朝子は、麦(ばく)と出会い、運命的な恋に落ちるが、ある日、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。2年後、大阪から東京に引っ越した朝子は麦とそっくりな顔の亮平と出会う。麦のことを忘れることができない朝子は亮平を避けようとするが、そんな朝子に亮平は好意を抱く。そして、朝子も戸惑いながらも亮平に惹かれていく。東出が麦と亮平の2役、唐田が朝子を演じる。寝ても覚めても : 作品情報 - 映画.com

今話題の本作ですが、濱口竜介という今後の日本映画界を牽引する監督の商業デビュー作です。めちゃくちゃ面白いので、キャストの印象だけで低評価になるのが悲しいです。。。

唐田エリカ演じる朝子はオープニングとエンディングのどちらとも東出昌大演じる登場人物を追います。しかし追う対象が、最初は非現実の象徴である麦、最後は現実の象徴である亮平と変わったように、朝子自身の人格にも変化があるはずです。最初に好きになってしまった麦と同じ顔をしているからという理由で亮平と付き合ってい朝子は一度、麦のもとへ戻ったことで、自分の本心はどちらに向いていたのかということに確信を持ちます。

マヤという舞台役者のキャラクターを登場させ、それについての批評を中盤に入れているように、本作には人間は他者に対して偽りの自分を演じるというテーマがあります。その上で、ラストは朝子の選択は、自分を偽らない、身の丈に合った幸せを生きることの決意のように感じられました。  海外での題名が”ASAKO Ⅰ&Ⅱ”のように、彼女の人格が別のものになったと言えるのかもしれません。

 

・共通点 自分を偽らない現実の選択

以上述べてきたように両者ともに現実と乖離したものへ執着を克服し、現実を生きることを選択する物語のように読み取れた。映画を見ているとデビッド・ロバート・ミッチェル作品と共通のテーマに出会うことが多々あります。かなり特殊な語り口にもかかわらず普遍性を持った作品を送り出すミッチェル監督は今後のアメリア映画界再注目人物と言っても過言ではないと思います!

”十代の神話”を描く相米慎二とデヴィッド・ロバート・ミッチェル

こんにちは、YUKIです!

最近はまっている映画監督の相米慎二について書きたいと思います。 

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まだ数本しか見れていませんが最近鑑賞した台風クラブ』に衝撃を受けました。日常から始まるこの作品は、中学生の少年少女の胸中に秘められた衝動をかき乱し、最終的に日常から少し飛躍したとんでも無いところに着地するという青春映画の傑作です。この映画を鑑賞しながら、アメリカ人の映画監督デビッド・ロバート・ミッチェルの作品のことを連想しました。ここでは『台風クラブ』とデビッド・ロバート・ミッチェル作品を比較したいと思います。

・デビッド・ロバート・ミッチェル

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デヴィッド・ロバート・ミッチェル(David Robert Mitchell、1974年10月19日 - )は、アメリカ合衆国映画監督脚本家である。2014年、雑誌『Complex』によって「商業的な成功を収める可能性がある10人の有望な映画監督」の1人に選ばれた[1]

デヴィッド・ロバート・ミッチェル - Wikipedia

・『台風クラブ

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台風の接近とともに、突然狂気に襲われた中学三年生たちの四日間を描く。ディレクターズ・カンパニーのシナリオ募集コンクールで準入選をした加藤祐司の脚本を「ラブホテル」の相米慎二が監督。撮影は「みゆき」伊藤昭裕が担当

台風クラブ : 作品情報 - 映画.com

 

・『アメリカン・スリープ・オーバー』

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長編第2作「イット・フォローズ」で注目されたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、2010年に発表した長編監督デビュー作。アメリカ、デトロイトの郊外を舞台に、夏休み最後の一週間の「Sleep Over(お泊まり会)」を通して、一目ぼれした女性を探す少年や、双子の姉妹の間で揺れる大学生、「楽しいなにか」を求める少女など、それぞれの青春を追いかける思春期の少年少女たちが、精神的に成熟していく過程をみずみずしく描いた。カンヌ国際映画祭の批評家週間などで上映された

アメリカン・スリープオーバー : 作品情報 - 映画.com

 

・『イット・フォローズ』

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各国の映画祭で高い評価を獲得し、クエンティン・タランティーノも絶賛の声を寄せたホラー。ある男との性行為を機に、他者には見えない異形を目にするようになってしまった女性に待ち受ける運命を見つめる。メガホンを取るのは、新鋭デヴィッド・ロバート・ミッチェル。『ザ・ゲスト』などのマイカ・モンロー、テレビドラマ「リベンジ」シリーズなどのダニエル・ゾヴァットらが出演。独創的で異様な怪現象の設定に加え、次々とヒロインの前に現れる異形の姿も鮮烈

解説・あらすじ - イット・フォローズ - 作品 - Yahoo!映画

 

ミッチェル監督作"アメリカン・スリープ・オーバー"において、大人になる手前の少年少女たちがとある現実に直面します。それは以下のようなものです。

人は大人になることで死を認識し、死ぬことが人生のゴールであるということに気づき苦しめられる

そして、それにまだ直面しない状態のことを十代の神話として定義しています。

 

次作”イット・フォローズ”はホラー映画でありながら"アメリカン・スリープ・オーバー"の精神的続編であると言えます。この作品の主人公は言ってみれば十代の神話を経験し終えてしまった者たちの物語だからです。彼らはゆっくり近づき追いつかれると死んでしまう謎の存在に苦しめられます。それはまさに人は大人になることで死を認識し、死ぬことが人生のゴールであるということに気づき苦しめらるという前作のテーマをそのままホラー映画の設定に置き換えたように見えます。この作品では死を遠ざける方法について提示されます。それはラストショットの主人公たちがそうしたように、恋人と手を取り合って人生を歩んでいくということです。ミッチェル監督は青春を持続させることを他者を愛することだと解釈しているのだと思います。このテーマはイングマール・ベルイマン監督作『第七の封印』でも語られるものなので、これについてもいつか記事を書きたいと思います。

 

話を『台風クラブ』に戻します。本作を言い換えるならば、"アメリカン・スリープ・オーバー"の子供達が"イット・フォローズ"されるか、"十代の神話"を継続するかに二分される話と言えることができると思います。

本作の主人公である中学生の少年少女は序盤から、将来への漠然とした不安、恋愛への欲求不満、死への恐怖にさいなまれていることが描かれます。そんな彼らが台風の中学校に残り、一夜を共に過ごすことで一人の少年あきらがこんなことを言います。

「死は生に先行する。死は生きることの前提だ。厳粛に生きるための厳粛な死が与えられていない。だから俺が死んでみせてやる。みんなが生きるために。これが死だ! 」

そういって彼は教室から飛び降りてしまいます。彼が死んだのかどうかは定かではありません。彼はなぜこんなことをしたのでしょう。それは、彼の行為を目撃した同級生たちが元々持っていた漠然とした不安を確固とした死によって現実のものとして受け止めさせようとしたのではないでしょうか。おそらく、同級生たちが実体の無いものに心をかき乱されているのを見るのが耐えられなかったのだと解釈しました。

一方で学校に残らず、この死に直面しない者、つまり十代の神話を継続する者もいるという点でもデビッド・ロバート・ミッチェル作品に通じるような気がします。

まだ全てを把握しきれているわけではないのでこれからも見返したいと思います。

ミステリー?コメディ?最新映画『ナイブズアウト』が超面白い!

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今年も始まって一ヶ月少しですが、もう2020年度暫定ベスト級の傑作に出会ってしまいました!ライアンジョンソン監督『ナイブズ・アウト』!今回はこの映画のレビューを書きたいと思います。

(※少しネタバレしてます)

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・あらすじ

世界的ミステリー作家ハーラン・スロンビーの85歳の誕生日パーティーが彼の豪邸で開かれた。その翌朝、ハーランが遺体となって発見される。依頼を受けた名探偵ブノワ・ブランは、事件の調査を進めていく。莫大な資産を抱えるハーランの子どもたちとその家族、家政婦、専属看護師と、屋敷にいた全員が事件の第一容疑者となったことから、裕福な家族の裏側に隠れたさまざまな人間関係があぶりだされていく。

ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密 : 作品情報 - 映画.com

・感想 

この作品が面白いのは人を騙すことで優位に立つ通常のミステリーを脱構築し、嘘をつけない人が最終的に優位に立つという構造になっている点です。

開始数分は通常のミステリーのように、犯人に疑われる登場人物たちがそれぞれアリバイについて話す。しかし開幕早々、事件の真相が発覚します。そしてこの事件が故意のものではないことから、いかにして犯行を隠すのかというサスペンスコメディへと変貌します。さらにそこで終わりにせず、推理劇としての面白さも保ちながら爆笑のクライマックスへ突き進みます

劇場は『カメラを止めるな』の時を思い出すほど、笑いに溢れていました。カメ止め繋がりで言うと、上田慎一郎最新作『スペシャルアクターズ』の主人公は緊張すると気絶してしまうという特殊な設定があったが、それは結局ギャグとしてしか機能していませんでした。本作のキーパーソン・マルタも同様に、嘘をつくと吐いてしまうという特殊な設定が与えられています。しかし、その設定がただのギャグではなく、ミステリーの脱構築という物語上重要な役割を担うことになっています

嘘をつけないという性格が事件の解決に導くという逆転劇は、登場人物の出自から産まれる社会的地位の逆転劇にも繋がります。マルタは移民の娘であり、彼女に立ちはだかるのは天才作家ハーラン・スロンビーのすねをかじって生きる白人たちです。他者を欺き、暴言を吐くようなスロンビー家の人間と異なり、いかなる時でも他者を助けるという自分のルールを守り続けたマルタが最後に辿り着く場所に注目してください。本作の優劣を視覚的に表現するラストショットは爽快でした!

 

登場人物が複数人いるのにその全てちゃんとキャラ立ちしているということも単純に凄いです。

ミステリー、コメディ、キャラ映画あらゆる角度から楽しめる傑作です!

 

”言葉の力の映画” イーストウッド最新作『リチャード・ジュエル』

公開から約3週間経ち今更感もありますが、クリント・イーストウッド最新作『リチャードジュエル』の感想を書きたいと思います。

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あらすじ

96年、五輪開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエルが、公園で不審なバッグを発見する。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。多くの人々の命を救い一時は英雄視されるジュエルだったが、その裏でFBIはジュエルを第一容疑者として捜査を開始。それを現地の新聞社とテレビ局が実名報道したことで、ジュエルを取り巻く状況は一転。FBIは徹底的な捜査を行い、メディアによる連日の加熱報道で、ジュエルの人格は全国民の前で貶められていく。そんな状況に異を唱えるべく、ジュエルと旧知の弁護士ブライアントが立ち上がる。

感想

この映画を一言で表すなら言葉の力の映画だと思いました。言葉によって植え付けられるイメージ。そのイメージによって発せられる言葉。それが人の心臓を抉る。(心臓に病を抱えるリチャードがメディアに囲まれて心臓のあたりを抑えて苦しむという描写もありました)
そして、その言葉に一矢報いるのはやっぱり言葉。言葉によって追い詰められた主人公達は終盤、弁護士ワトソンから新聞記者キャシーへ、そしてリチャードからFBIショウへと言葉で反撃します。イメージや主義などではなく真実、つまり人間の尊厳としての言葉はそれらを打ち砕く。リチャードは人としての落ち度が一切ない完璧の善人ではありません。しかし自分が信じる善意からの行いの結果、人の命を救うことができたという誇りを捨てることはありませんでした。そのことがラストの反撃に繋がったのだと思います。

そしてリチャードの母ボビも記者会見で涙ながらに胸中に秘めた想いを言葉で発します。彼女は仕切りに「大統領」と呟く。真相発覚後のFBI側のあの態度からも分かるように、本作は国家と市民の対立という構造になっているかもしれないです。(真犯人は電話で自分のことを“民兵"と言っていることもこの暗示のように受け取れます)

前半にサムロックウェル演じる弁護士ワトソンがリチャードに「権力は人をモンスターにする」という言葉を発します。このように本作はモンスターになった権力者と人間として戦う市民の戦いと言えるのかもしれません。

加えて、前作「運び屋」同様、リチャードの一市民としての描写が堪らなかったです。スニッカーズ補充、ゲーセンのピストルゲーム機、妊婦に水をあげるなどの市民としての些細な描写が彼の人間性を早々に浮かび上がらせ、感情移入することができました。

傑作です!

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何も言わずにこれを見て❶

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下品、滑稽、グロテスク。。。

予測不能のイメージのつるべ打ちなこの映像は松本利夫監督作『薔薇の葬列』(1969年)のワンシーンだ。40年以上も前の作品であるのに今見ても色褪せることのない魅力が詰まった作品だ。

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この映像の後半にある倍速のケンカシーンの他にも、作中に多用されるモンタージュなどスタンリー・キューブリック監督作『時計じかけのオレンジ』(1971年)に多大な影響を与えた作品として知られる。

 

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↑このシーンの後半部分は特に!

本作は歌手、俳優、タレントのピーター(池畑慎之介)の初主演作品であり、日本映画で初めてトランスジェンダーにスポットライトを当てた作品である。この映画は男と女、虚構と現実など、二項対立で括られがちな世界の境界線を曖昧にしようとする。作品の中に出演者のインタビュー映像を入れるなど、普通の映画では考えられないような実験的演出が最高に面白い。

詳細は伏せるが最後に主人公がとんでもない行動をする。それはグロテスク極まりないが、二項対立で括ろうとする世界へのせめてもの抵抗としての行為なのだと解釈した。

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おすすめです!!