『寝ても覚めても』と『アンダー・ザ・シルバーレイク』に見る偽りなき人生

昨日の記事でデビッド・ロバート・ミッチェルについて言及したので、今日は彼の作品『アンダー・ザ・シルバーレイク』と最近話題の映画『寝ても覚めても』についての記事を書きたいと思います。(微ネタバレ)

 

まずそれぞれの作品についてのYUKIなりの感想を書きたいと思います。

・『アンダー・ザ・シルバーレイク

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「イット・フォローズ」で世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、「ハクソー・リッジ」「沈黙 サイレンス」のアンドリュー・ガーフィールド主演で描いたサスペンススリラー。セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイク。ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。サラの行方を捜すうちに、いつしかサムは街の裏側に潜む陰謀に巻き込まれていく。「私たちは誰かに操られているのではないか」という現代人の恐れや好奇心を、幻想的な映像と斬新なアイデアで描き出す。サラ役に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のライリー・キーオ

アンダー・ザ・シルバーレイク : 作品情報 - 映画.com

ミッチェル監督の「アメリカン・スリープ・オーバー」、「イット・フォローズ 」の流れで本作を観ると、主人公の青年サムも前二作の主人公達と同様、"理想と現実の乖離"という宿命を背負っているように感じます。彼は負け組の人生を歩む現状に満足せず、何か人生の"意味"を見出そうとしているのです。

今いる彼女とは別に本気で好きになってしまった金髪美女、そしてこの世を操る力の正体を探すという行為こそ、彼が意味を求めていることの象徴だと読み取れます。

では、結局彼は何を見つけるのでしょうか?それはこの世に絶対的な意味なんてものはないということだと解釈しました。詳細は伏せますが、ラストに彼がある部屋であるものを聞いた時に言う言葉からそう感じました。自分が信じた映画、音楽が盗作だったりコマーシャルな理由で製作されていたなんて関係ない。そんな作品だとしても、意味を削ぎ落とした時に自分の中に残った生身の感動は真実だ!というメッセージを受け取りました。あのラストの微笑みには彼が今後、人生の意味などという価値観に囚われずに、自分自信を偽らない素直な人生を生きる決意のようなものを感じました。

奇をてらったカメラワークやゲームのように進行していく先の読めない展開など映画体験としてもかなり面白い作品だと思います。

 

・『寝ても覚めても

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4人の女性の日常と友情を5時間を越える長尺で丁寧に描き、ロカルノ、ナントなど、数々の国際映画祭で主要賞を受賞した「ハッピーアワー」で注目された濱口竜介監督の商業映画デビュー作。第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。芥川賞作家・柴崎友香の同名恋愛小説を東出昌大唐田えりかの主演により映画化。大阪に暮らす21歳の朝子は、麦(ばく)と出会い、運命的な恋に落ちるが、ある日、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。2年後、大阪から東京に引っ越した朝子は麦とそっくりな顔の亮平と出会う。麦のことを忘れることができない朝子は亮平を避けようとするが、そんな朝子に亮平は好意を抱く。そして、朝子も戸惑いながらも亮平に惹かれていく。東出が麦と亮平の2役、唐田が朝子を演じる。寝ても覚めても : 作品情報 - 映画.com

今話題の本作ですが、濱口竜介という今後の日本映画界を牽引する監督の商業デビュー作です。めちゃくちゃ面白いので、キャストの印象だけで低評価になるのが悲しいです。。。

唐田エリカ演じる朝子はオープニングとエンディングのどちらとも東出昌大演じる登場人物を追います。しかし追う対象が、最初は非現実の象徴である麦、最後は現実の象徴である亮平と変わったように、朝子自身の人格にも変化があるはずです。最初に好きになってしまった麦と同じ顔をしているからという理由で亮平と付き合ってい朝子は一度、麦のもとへ戻ったことで、自分の本心はどちらに向いていたのかということに確信を持ちます。

マヤという舞台役者のキャラクターを登場させ、それについての批評を中盤に入れているように、本作には人間は他者に対して偽りの自分を演じるというテーマがあります。その上で、ラストは朝子の選択は、自分を偽らない、身の丈に合った幸せを生きることの決意のように感じられました。  海外での題名が”ASAKO Ⅰ&Ⅱ”のように、彼女の人格が別のものになったと言えるのかもしれません。

 

・共通点 自分を偽らない現実の選択

以上述べてきたように両者ともに現実と乖離したものへ執着を克服し、現実を生きることを選択する物語のように読み取れた。映画を見ているとデビッド・ロバート・ミッチェル作品と共通のテーマに出会うことが多々あります。かなり特殊な語り口にもかかわらず普遍性を持った作品を送り出すミッチェル監督は今後のアメリア映画界再注目人物と言っても過言ではないと思います!