エロくて切ない、、、ラブドールが主人公の映画『空気人形』

こんにちは、YUKIです!

この記事では是枝裕和監督監督作品の中でも異色な映画『空気人形』について書きたいと思います。(微ネタバレ)

 

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女性の「代用品」として作られた空気人形ののぞみに、ある朝「心」が芽生え、持ち主の秀雄が留守の間に街へ繰り出すようになる。そんなある日、レンタルビデオ店で働く青年・純一に出会い、密かに想いを寄せるようになった彼女は、その店でアルバイトとして働くことになるが……。「誰も知らない」「歩いても 歩いても」の是枝裕和監督が、業田良家の短編漫画「ゴーダ哲学堂 空気人形」を映画化。主演は韓国の人気女優ペ・ドゥナ

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・『この世界の片隅に』との類似性

 

本作にはたんぽぽの綿毛が重要なモチーフとして登場します。

たんぽぽは風で種子を飛ばし、遠く離れた場所に根を下ろして繁殖していきます。それは、だれかの一部が他者に伝播し、その人の一部となるという人間の相互作用を表しているようです。ラスト、純一によって満たされたあかりの中の空気が彼女の息としてたんぽぽの綿毛を飛ばします。そして上空に舞い上がる綿毛が捉えられ映画は終わります。

たんぽぽの綿毛でそれを表現するのはこの世界の片隅にも同じです。この作品では、幼い頃すずがスイカの皮をあげた貧しい少女が、大人になって娼婦のレンとして再びすずと関わりを持つというように時間を超えた人間の相互作用が描かれています。また、綿毛は重要な場面で登場します。『空気人形』においても、主要ではない脇役の登場人物たちの日常を描写したシーンが意図的に挿入されているように、世界の片隅で生きるもの同士がお互いに影響を与えながら生きていることが描写されています。よってこの二作品は同じ精神性をもった映画なのだと解釈しました。

 

・”親離れ”の物語としての『空気人形』


また親離れの話と言えるのかもしれません。
なぜか空気を入れる口がへそにあり、そこにチューブを差して空気がいれられます。嫌でもへその緒が連想されます。自我に目覚め、外の世界を知ってしまったあかりは自らへその緒である空気入れを捨てます。その後、同じ公園のベンチに座った女性に対して「歳を取ることができるようになった」と告げます。つまり、へその緒が象徴する親との別れ、そして外の世界で人として生きることへの喜びを表しているようでした。それは死ぬことができることを生きることができると肯定的に捉え直してるように思えました。

へその緒で守られていた時、空気が抜けても親である所有者から空気を入れてもらっていました。しかし、へその緒が無くなったあかりを満たすことができるのは他者しかいません。あかりはバイト先のレンタルビデオ屋の店員と出会い、心に空虚さを感じていた2人は恋に落ちます。彼がへそに口を当ててあかりの空気を満たすという行為が性行為のように官能的に描かれていました。

空っぽの心が満たされることへの快楽を求めて、他者の心の空気を故意に抜いた結果あのような結末になってしまったように、ファンタジーでありながらも現実における人間関係のメタファーが散りばめられていたように思えました。

・最後に

本作で描かれるように、きっかけは何であれ、何かに感動すること、そして自分が感動できるという事実に感動することで、まだ自分はこの世界で生きていてもいいんだと勇気付けられることは確実にあると思います。「綺麗」という言葉で始まり閉じられる円環構造の本作は本当に綺麗な作品でした。